もしも、犬が人間の言葉を話したら
もしも、犬が人間の言葉を話したら。
朝、散歩の時間になる。飼い主がリードを持つと、犬が玄関まで走ってくる。
「今日は公園に行きたい」
いつものように吠えるのではなく、普通にそう言う。
「昨日も公園に行ったよ」
「昨日は雨だった。今日は晴れてる」
犬が自分の希望を言葉で伝えてくる。それだけで、犬との生活はかなり変わる。
散歩の行き先を犬が決める
今までの散歩では、飼い主が道を選ぶことが多い。今日は時間がないから短い道、休みの日は遠くの公園。そんなふうに、人間の都合で決めることも多かった。
犬が話せるなら、散歩の途中でも相談できる。
「今日はどっちに行く?」
「右」
「いつもの道?」
「今日は左に行きたい」
「何かあるの?」
「昨日、向こうに大きな犬がいた」
犬は人間よりも強い嗅覚を持っている。人間には気づけないにおいを感じ取ることもある。だから、犬が話せる世界では、散歩中にこんな会話も増える。
「この先に知らない犬がいる」
「さっきここを猫が通った」
「今日は公園に人が多い」
人間にはただの道でも、犬にはいろいろな情報が残っている。散歩は、犬を歩かせる時間だけではなく、犬が感じている町の様子を聞く時間にもなる。
「吠えた理由」がわかる
犬が話せるようになると、今まで困っていた行動にも理由を聞ける。
玄関のチャイムが鳴ると吠える犬がいる。
「どうして吠えるの?」
「知らない人が来たと思ったから」
「でも宅配便の人だよ」
「それは知らなかった」
それなら、チャイムが鳴ったときに誰が来たのか教える方法も考えられる。
散歩中にほかの犬へ吠える場合も、
「怖いの?」
「怖いというより、近づかれたくない」
と答えるかもしれない。
同じ「吠える」という行動でも、理由はそれぞれ違う。遊びたい、怖い、警戒している、何かを知らせたい。今までは人間が犬の様子から推測していたことを、本人に聞けるようになる。
しつけの方法も変わる。「吠えちゃだめ」と繰り返すだけではなく、なぜ吠えたのかを聞いて、その原因を取り除くことができるからだ。
犬が家の異変を教えてくれる
犬が話せると、家の中でも今まで気づかなかったことを教えてもらえる。
夜、突然犬が壁のほうを見る。
「どうしたの?」
「さっきから、あっちで音がする」
人間には聞こえない音を犬が聞いているのかもしれない。
庭に誰かが入ってきたときも、
「今、知らない人が門のところにいる」
と教えてくれる。
犬が気づいたことを人間が確認する。そんな役割分担も増えるだろう。
ただし、犬が感じたことが必ず正しいとは限らない。「何かいる」と言われても、本当に人なのか、動物なのか、音だけでは判断できないこともある。話せるようになったからといって、犬の感覚がそのまま人間の判断になるわけではない。
犬の鼻について研究が始まる
犬が自分の感じたことを説明できるようになると、犬の嗅覚についての研究も大きく変わる。
たとえば、犬が何かを探している。
「この箱の中に食べ物がある」
「どうしてわかるの?」
「においがするから」
「どのくらい前からある?」
「たぶん昨日」
今までなら、人間は犬が箱を見つけたという結果しか観察できなかった。話せるようになれば、「どこからにおいを感じたのか」「何と何のにおいを区別しているのか」といったことまで聞ける。
警察犬や救助犬の仕事も変わる。たとえば行方不明者を探しているとき、
「このにおいを追ってきた」
「ここから別の方向に変わっている」
と犬自身が説明できる。
今まで人間が犬の動きから読み取っていた情報を、犬から直接聞けるようになる。犬の鼻を使った仕事では、見つけた場所だけでなく、犬が何を手がかりにしたのかまで記録できるようになるだろう。
仕事をする犬との会話
盲導犬など、人間と一緒に働いている犬にも大きな変化が出る。
「この道は危ない?」
「車が多いから、少し待って」
「今、何を見ているの?」
「階段がある」
これまでは犬の動きから判断していたことを、言葉で確認できる。人間の目には見えていない危険を犬が感じ取っているなら、その理由も聞ける。
救助活動なら、
「この建物に人はいる?」
「いると思う。奥から声がする」
「何人?」
「二人の声が聞こえる」
そんなやり取りもできる。
犬がどこまで正確に数えられるのか、どんなにおいや音を区別できるのか。犬と人間が一緒に仕事をすることで、これまでわからなかったことも見えてくる。
犬の能力を人間が読み取るだけだった仕事が、犬と人間が情報を交換する仕事に変わっていく。
犬の訓練も変わる
話せる犬が増えれば、訓練の方法も変わる。
今までは「座れ」「待て」「おいで」といった指示を教えることが中心だった。でも、会話ができるなら、
「なぜ今、そこから動いたの?」
「向こうから大きな音がしたから」
と理由を聞ける。
犬の側から、
「この教え方だとわかりにくい」
「この場所だと集中できない」
と言われることもある。
訓練士は、犬に指示を出すだけではなく、犬と話しながら教えるようになる。犬が何を苦手としているのか、どんな状況ならうまくできるのか。そうしたことを本人に聞きながら訓練できる。
犬を訓練する仕事は、命令を覚えさせることから、犬と方法を相談することへ変わっていく。
犬同士の会話も聞こえてくる
もちろん、犬が話す相手は人間だけではない。犬同士も会話をする。
散歩中に出会った犬が、
「この先の公園は工事中だよ」
と教える。
「どこで知ったの?」
「毎朝そこを通ってるから」
そんな情報が犬同士で広がっていく。
ドッグランでは、人間にはわからなかった犬同士の関係も見えてくる。
「この犬とは仲がいい」
「その犬は少し苦手」
「昨日、けんかした」
飼い主が「仲良く遊んでいる」と思っていても、
「別に仲良くない。近くにいるだけ」
と言われることもある。
逆に、少し離れて座っている二匹が、
「あとで一緒に走る約束をしてる」
ということもあるかもしれない。
人間から見ると何も起きていないような場所で、犬たちは犬たちの情報を交換している。
犬用品は「犬に聞いて」作る
犬が商品の感想を言えるなら、犬用品の作り方も変わる。
新しいドッグフードを食べてもらう。
「どう?」
「においはいい。でも硬い」
新しい首輪をつけてもらう。
「きつくない?」
「走ると少し当たる」
新しいベッドなら、
「どう?」
「ちょっと暑い」
実際に使う犬から感想を集めて、商品を改良する会社が増える。
「犬が選んだドッグフード」
「犬に聞いて作ったリード」
そんな商品も出てくる。
店頭でも、飼い主が選ぶのではなく、
「こっちがいい」
と犬が商品を選ぶ場面が普通になるかもしれない。
犬用品だけでなく、犬が使う施設にも変化が出る。
「この床は滑る」
「この部屋は音が響く」
「この水飲み場は低すぎる」
犬が話せるなら、今まで人間だけで決めていたことについても、犬の意見を直接聞ける。
犬は仕事をしたいのか
ここまで来ると、「犬に仕事をしてもらえばいい」と考える人も出てくる。
番犬なら異変に気づける。探す仕事なら鼻を使える。人と触れ合う仕事なら、犬自身が話をすることもできる。犬だからできる仕事はいろいろありそうだ。
ただ、犬が働きたいとは限らない。
「この仕事、やってみる?」
「散歩のほうがいい」
それなら仕事にはならない。
犬が人間の言葉を話せるようになったことで、人間は犬の能力だけでなく、犬自身の希望も聞かなければならなくなる。
今まで「しつけ」として人間が決めていたことの中にも、
「これは嫌」
「これはできる」
「こっちならやってみたい」
という犬の意見が入ってくる。
犬と暮らす意味が変わる
犬が人間の言葉を話せるようになっても、犬が人間になるわけではない。
犬は犬の体で走り、においをかぎ、人間とは違う聞こえ方で周りの音を聞いている。人間と同じ生活をする必要もない。
変わるのは、犬の能力そのものより、人間が犬に直接たずねられることだ。
散歩の途中で急に立ち止まる。
「どうしてここで止まったの?」
「昨日、知らない犬がここを通ったから」
「それがわかるの?」
「においが残ってる」
人間には何も見えない道に、犬には別の情報が残っている。今までは、その情報を人間が想像するしかなかった。話せるようになれば、犬から聞ける。
家に帰れば、
「今日はどうだった?」
「公園に知らない犬がいた」
「仲良くなった?」
「ちょっとだけ」
そんな会話もできる。
ただし、犬が何でも人間に教えてくれるとは限らない。
「何を見てる?」
と聞いても、
「内緒」
と言うかもしれない。
犬が人間の言葉を話せるようになったからといって、犬の世界が全部人間に開かれるわけではない。むしろ、今まで聞こえなかった声が聞こえるようになって、知らないことが増えていく。
毎朝、玄関でリードを見せる。
「今日はどこまで行く?」
「いつもの公園」
「今日は違うところがいい」
犬が話せるようになった世界では、散歩の行き先まで人間が一方的に決めることはなくなる。
玄関を出て、最初の角をどちらへ曲がるか。その小さなことから、犬と人間で相談することになるのかもしれない。
※ この文章は空想です。現実の世界では、無理なことを試さないでください。
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